NAGOMI -和み- online cooking class

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板前のひとりごと <自分の環境に溺れるな…>

 

この間、京都で働く日本料理人の友人と電話した時のこと

友人が働いている料亭の親方が言った一言。

 

『店のために働くことを考えてみ』

 

…その言葉を聞いた瞬間、その言葉が持つ本当の意味が何なのか気づかされた。

 

 

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Bruny Island, Tasmania, Australia 1/Jan/20 photo by Nikon D3400

店のために働く…

それって自分のために働くなってこと?

 

誰しもが自分のために仕事をしているし、人生を全うしている。

『店』と『自分』を別なものとしてみると

『店のために働く』=『自分のために働くな』と考えることになる。

新人の時の自分だったらそう考えていた、というよりかはそうしていたのが事実。

周囲や自身に対するたくさんの劣等感を持ち、日々の仕事を言われた通りに熟す。これをやっていれば怒られない、失敗しないなどと言わずも名が『自分のためだけ』に仕事をしていた。仕事が慣れるにつれて向上意識も薄れ、『店のために働く』なんて考えもしなかった。

 

でも

 『店のために働く』ということは

        『店』=『自分』だということ。

 

どんな仕事業務においても、自分の感覚だけで仕事はしていけない。店の環境、クオリティにもよるが、先輩もいれば後輩もいる。誰しもが失敗するときはあるし何かしらの仕事を持つ。その一つの仕事をあなたがやるとき、いつもこのくらいだしこれでいい、などと勝手に決めつけて仕事をしていないだろうか。それは『あなた自身のために<ただ>働いている』ことに過ぎない。周りを見れば、あなたの知らない知識を持っている人がいる。あなたより仕事をうまくこなす人がいる。そんなの働いている人生においていくらでも見てきたのではないだろうか。『店のために働く』ということは皆で自分自身のために力(情報、知識、技術など)を共有し店のレベルを上げていくというものだと僕は思う。

 

毎日の慣れ、これほど怖いものはない。毎日毎日同じ仕事でも何かを得る、気づこうとする感覚を持つ。これが『店のため』でもあり『自分のため』にもなる。そう考えると『店』と『自分』は表裏一体である。店が良いということは自分も良い、自分が勝手であれば店はままならない。だからこそ、先輩が後輩の肩を持つし、後輩は先輩に食らい付いていく。その環境が必要なのが料理人である。そこの関係が上手くいけば、店としても成立する。

 

また知れずと

『自分の感覚/レベル』=『店の感覚/レベル』になる。